伊号潜水艦

伊号潜水艦

潜水艦戦術の確立

伊号潜水艦

大正11年(1922)のワシントン軍縮会議以降、日本海軍は、主力戦艦不足を潜水艦で補う方針が決まった後も、巡潜型潜水艦による敵根拠地の哨戒や機雷の敷設、高速艇による奇襲程度の作戦しか考えていませんでした。

その後、昭和4年(1929)ごろには1個水雷戦隊10隻の潜水艦を用いて、監視、追躡、接触、漸減、艦隊決戦参加という作戦を確立します。

これは、魚雷の艦首発射管を使用する潜水艦3隻、艦尾発射管から100度以上の斜進発射使用潜水艦3隻、艦首艦尾発射管混用4隻という攻撃方法が標準になってきたことによります。

斜進発射とは、一旦艦尾から後方に発射した後、魚雷が一定距離を進むと100度以上方向を変えて、前方の敵に向かうという魚雷戦法です。

日本の潜水艦は、艦首4で艦尾2の魚雷発射管が標準装備されていますから、1個水雷戦隊の一斉発射で約40発の魚雷攻撃が可能となります。

この作戦を確立させるためには、敵艦隊を追い越して有利な射点に先回りする必要がありました。

そのために高速のディーゼル機関が必要になり、機関動力の開発が進みました。

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